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diary201209

9月の日誌

漢字が書けない

  • 投稿者:ゆき子 (2012-09-22 (土) 07:02:55)

最近漢字が書けない(書かない)子が多い。

名前をいつもひらがなで書いていた中学生。
「ひらがなの名前だっけ?」
「いいえ、こういう漢字。」
「自分の名前くらい漢字で書きなさいよ、幼児じゃあるまいし。」
「だってめんど(くさ)いんだも~ん。」
子どもの名前を付けたとき、
どんな漢字にしようかと頭を悩ませた親の気持ちになって見ろ!。

閑話休題。

漢字のテストの点数が0~3点。
良く見せてもらったら、
1問目から3問目までは何とか書こうとする努力が見える。
4問目以降は問題をそのまま、写してひらがなで書いてある。
頭の中に漢字が思い浮かばなかったのだ。
まずこういう子は本を読んでない。

大人はひらがなばかりの本は読みにくい。
漢字には意味があるからだ。
ひらがなばかりだと、頭の中でそれを漢字に直してから
文章の意味に結びつける。
やみくもに漢字ノートにずらずら書いたって覚えない。
この漢字にはこういう意味があって、
これとこれを組み合わせるとまたこういう意味になる。
そういう面白さがわかってくると漢字も覚えやすい。

何と言っても読書が大事。
読書せずにゲームばかりやってて
漢字をどうやって頭の中に入れるのだ?
たくさん、たくさん本を読んでこそ
漢字に意味や成り立ちが頭に入ってくる。

どうすれば良くなるのか、いつも考えているけれど。

  • 投稿者:ゆき子 (2012-09-12 (水) 21:05:10)

月曜日に、算数は何とか終えたが
国語は「これは難しい。」と言って読みもせず
「わからない。教えて。」と言う。
「最初からきちんと、問題も読みなさい。」
「めんどくさい。」とだだをこね始めたので、
「では、どうぞお帰りください。」と突き放した。
彼は小学校2年生。
ほとんどくもんの宿題はやってこない。
どうしてきちんとやらせるようにしないのか。
「学校の宿題だけでも時間がかかるので。」
そりゃ、そうでしょ。
学校では自分のできるところより
難しいところをやっているのだから。
要領が良い子は学校の宿題程度は
休み時間などにチョコチョコッとやってしまうはず。
授業もちゃんと聞いて、しっかりと理解しているのか。
何とか、学校の宿題をささっと片付けて
くもんの学習をコンスタントにやれば
必ず力がつくし、時間の管理もうまくできるようになるはずなのに。

それでも今日は「この前はすみませんでした。」と
自分から謝った。大した進歩だ。

ビシッと叱るのも疲れるのだ

  • 投稿者:ゆき子 (2012-09-11 (火) 21:40:23)

「ここはやりたくない。これの前のところがいい。」
「そこは前回やりました。
5枚で10分ちょっとでできたから、今日は5枚分進めよう。」
「いやだ!前のところがいい!」
「ダメ!今日はここ!」
いつもなら、そうかじゃあそっちにしよう、となるところだが
今日はゆずらない。
そういつもいつも甘い顔をしていたらなめられる。
「いや。」と言えば通ると思ったら大間違い。
「難しいからいやだ。」
「難しいはずがない。
この前のところからほんの5枚進んだだけ。
あなたは甘えている。難しくてもがんばってやってる人はいっぱいいる。
いい加減、楽なところばっかりやろうとするのはやめなさい!」
難しいとなるとすぐダメになる。
頭は悪くないし、要領も良いのだが
ちょっと難しくなるとさじを投げる。粘りがない。
今の内に治さないと、大人になってからじゃあ遅いよ。
今回は絶対ゆずらない。
4時半過ぎに来たのに、始めたのは結局6時半過ぎてから。
それでも2教科40分程度で終えて、やっと帰った。
やればできるじゃないか。

大きな勘違い

  • 投稿者:ゆき子 (2012-09-07 (金) 15:12:01)

「教わればできるようになる。」
最近「教えてくれる塾」へ移った子の言葉です。
では、学校では教わってこなかったんですか?
学校の先生は教科書に従って(教科書に書いてあること以上に)
懇切丁寧に教えてくれたはずです。
学校で教わったことが全部できるようになっていれば
わざわざ塾へ行く必要なんかありませんね?
学校ではきちんと「教えてくれる」はずです。
でも、できる子とできない子の差が出てくるのは
できるようになるまで練習をさせてくれないからです。
学校では練習する暇はないのです。
それを補うのが「家庭での学習=練習」です。
練習を怠って「教えてくれないからできない。」と言う。
そうではありません。
できるようになるまで練習しないから、できないんです。
「教わる・教えてもらう」ということと「できるようになる」と
同じではありません。
しかし「教えてもらう」と「わかった」ような気持ちになり、
「できる」と勘違いするのです。
本来なら「わかった」と「できる」の間には
膨大な練習の量が存在します。
その膨大な練習の量が、こなせるかこなせないか
そこが「できる子」と「できない子」の違いです。
2回練習すればできる子、10回練習すればできる子
その子によって違います。
練習をしなくてもできる子も中にはいます。
(ほんの少しですが)
危険なことは「教わればできるようになる」と勘違いすることです。
教わっただけでは、絶対にできるようにはなりません。
わかったような気になるだけです。

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