公文式教室で学ぶ、家で学ぶ、自分で学ぶ きっとできる!だからがんばる。

diary201606

6月の日誌

こんなにきれいに書ける

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-30 (木) 21:22:28)

左利きだし、鉛筆の持ち方も今一つ。
書き順もちょっと怪しい。
ひらがなの「き」のの一画目は縦棒になってしまう。
「横二本書いてから、縦だよ。」
なかなか直らない。
数字もしかり。
問題の横にきちんと答えが書けないくらい大きい。

それが昨日の宿題は、問題の横にしっかり書いてあり、
問題と同じくらいに小さく書けている。
「すごい、綺麗に書けたねえ。上手だねえ。
ほんとにTくん、書けるじゃない。すごいねえ。」

たまたま昨日の宿題だけきれいに細心の注意を払って書いたのかな?
いやいや、今日の教室の学習もきれいに書いている。
国語の文字に関しては、もうちょっとだが、
そっちは「読みがうまくなった。」とほめる。

足し算に関しては練習に練習を重ねて、
学童保育の先生にも「計算が早くなった。」
と言われたらしい。
引き算に入ったらなかなか切り替えができずに、
10枚やるのに1時間近くかかった。
学校ではすでに筆算に入っている。
繰り上がりの足し算は何とかクリアできたらしい。
学校で引き算に入る前に一年生の一けた引き算を思い出せるように、
カードを作って練習。
一年生で使った引き算カードにも再登場してもらう。
そろそろ一年生の引き算を思い出したかな、と思っていたら、
今日はこんなに綺麗に書けるようになった。

これまではとにかく綺麗に書くこと以前に、
すらすらできることが最優先だった。
これからは数字もきれいに書けるようになって、
もっとどんどんのびていくのではないか、
期待できる出来事だった。

一人一人に向き合って

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-29 (水) 08:58:45)

学校ではみんな同じように前を向いて先生の話を聞いて、
話し合ったり、発表したり、同じ方向を向いています。
コツコツ自分だけで勉強するにはこの形態は良いかもしれません。

公文の学習は最終的には「自立した学習」を目指していますから、
学校と同じように机は並べています。
でも指導者やスタッフは臨機応変に子供の前へ行って
向き合って学習を指導します。
時には後ろから集中度合いを見ます。
最近は「わかんな~い!」という子は減りましたが、
新しいところはすぐそばでやり方を教えますし、
難しそうなところはできているかどうか見守っています。

こんなのできない!と言ってる子どもが
近くに行って様子を見ているとできるのです。
「先生が見ていてくれるとできる!」と言ってくれた子がいます。
なぜでしょうね?
別に一問一問教えているわけでもないのに、
見守っているだけで安心できるんでしょうか?
最終的には一人でできることを目指していますけれど、
その過程では一人一人に向き合って、
一つ一つの事柄を見守っていく心構えでいます。

品性は大きくなってからでは作れない

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-25 (土) 13:29:25)

机の上にお尻を載せて平気な子。
どうしてそういうことをするのか。
何度叱っても直さない。

そしたら今日
「品性は大きくなってからでは作れない。」
という言葉を見つけた。
小さいうち0~2歳くらいのうちにそういうしつけを
きちんとしなければだめなんだと。
まだ小さいからいいや、大きくなってきちんと言えばわかるはず、
というのは間違い。
小さいからこそきちんとしつけなければ、大きくなってから言っても、
小さいときは良かったのに、何で大きくなったらいけないことになるの?
そういう感情が芽生えてしつけがうまくいかない。
だからどんなに小さくても、いや小さいからこそ、
いけないことはいけないとしつけるべきなのだ。
そしてそういう時は絶対感情的にならずに、
分かっても分からなくても「これはルールとして、してはいけない。」
と教えるべきだと書かれていた。

大体人様のところ(たとえお金を払っている塾でも)へ来ていて
そういうこと(机に座るようなこと)を平気でやるような子は
もう来てもらいたくないと思ってしまうのは、
いけないことなんだろうか。
これはもう先生に甘えている、
なんてのを通り越していますよね。

結果だけを見ないで

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-22 (水) 10:09:46)

「テストの点数が悪かった!」
まあ、それだけでお子さんを叱る方はいないでしょうが、
でも子どもさんにしてみれば
「結果だけを見ないでよ!」と言いたくなるかもしれませんね。

実際子どもさんがいま何を学習しているか、
どれだけの親ごさんがわかっているでしょうか?
「算数、もう筆算に入りましたか?」
「国語は今どんなところを学習してます?」
こうお尋ねしても、
「え~?今どこやってんの?」なんてお子さんに聞く始末。
国語は音読してるのを聞かなくてはいけないから、
大体わかる場合がありますね。
算数はテストを持って帰ってから
「何よ!この点数!?」となる。

まさか、勉強のことは学校(と塾)にお任せしてありますから、
私は知りませ~ん、なんておっしゃいませんよね?
子どもさんの教科書をご覧になってみてください。
結構面白いですよ。
今、こんなことやってるんだな。
ああ、これはうちの子にとってみればちょっと難しいかもなあ~。
そういうことがわかるんじゃないでしょうか。
そうすれば結果だけを見ることなく、
ここがわからないのか、ここが理解できてないんだな、
それが納得いくのではないでしょうか。

親子のコミュニケーションにもなりますよ。

教科書を見よ

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-17 (金) 09:36:01)

公文の学習が終わった後なら、
学校の宿題をやってもよい、ということにしています。
学校での様子も分かるし、
どのくらいまで理解しているか把握できるからです。

昨日のことです。
ドリルをやっていてわからない、というので
どれどれと見てみました。
「平行四辺形」の問題でした。
「学校で『平行四辺形』は教わった?」
「教わったと思う。」(と、思う、って....)
「教科書持ってる?出して。」
「平行四辺形のところ開いて。」
すぐには開けないんですね、これが。
「はい、ここ読んで。(平行四辺形の性質のところ)」
『平行四辺形は、向かい合う辺の長さが同じで、
向かい合う角の角度が同じ四角形』
1回学校でやったくらいじゃ覚えてないのが普通です。
これが、1回やっただけでしっかり覚えていられたら、優秀な子。

教科書はドリルをやるときなどは常にそばに置き、
わからないときはすぐに見直すことが大事です。
そうやって繰り返し読み込むうちに覚えていきます。
教科書をきちんと読んで、しっかり頭に入れて、
そこに出てくる問題は必ずできるようにしておけば、
最低でも80点は取れるはずです。

それにしても今の教科書って、紙の質もいいし、
カラフルだし、だから重いいんですねえ。

復習は何のためか

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-15 (水) 22:19:05)

数学E教材の分数引き算を学習中の3年生。
確かに学校では全然習っていないので、
難しいと思うのはわかる。

しかしそれはなおざりにやって良い理由にはならない。
3回おなじところを学習して、だんだん時間が長くなり、
だんだん間違いが多くなるとはどういうことなのか?
おまけに数字がだんだん雑になってくる。
これはいい加減にやっているからに他ならない。
復習をする前には、
「間違いの数が○○個、時間が何分だから、復習します。
これより点数が良くなり、時間が早くなるように、
気持ちを引き締めて取り掛かってください。」
と言っているつもりなのだが、伝わっていないのかなあ~~~。

もっと効率的に、本人の心に響く伝え方はないものか。
思案中・・・・。

忘れる

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-15 (水) 09:30:57)

学校でやったことをすべて覚えていれば、テストは100点のはず。
やったはずなのに覚えていないのはどういうこと?
子どもにはよくあることです。
公文でこれだけ繰り返しても忘れることがあるのだから、
学校でせいぜい数時間やり方だけ教わって、
練習問題もろくにやらなかったら、忘れるのは当たりまえ。

今は6年生になって、そういうことはさすがに言わなくなったものの、
確か3年生の時だったか「今、引き算は学校でやってないから、できない。」
「今は時間の計算をやってるので、九九はできない。」
君はそれをやっている時しかできないのか?
唖然としたことがあります。

それは完全に忘れたのではなく、
頭のどこか片隅の引き出しに残っていて、
またやり始めればそこから出てきます。
だから「できない、忘れた。」と子どもが言ってもあわてないでください。

「やればできる」のではなく「やるからできる」のだ

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-13 (月) 22:58:17)

どうも某学習塾のCMで
「やればできる」というのが鼻について仕方がない。
だいたい「やれば」という仮定形が嫌だ。

誰だって「やればできる」に決まっている。
「お宅のお子さんは、やればできるんですけどねえ…。」とか
先生に言われて安心してる親御さんの気が知れない。
「うちの子、やればできるんだわ。
今はやらないからできないのであって、
きっとやればできるのよ…。」

今やってないから、できないんじゃないですか。
すぐにやりなさい!と言いたい。
「やれば」ではなく、「やるから」できるんです。
やらない子どもはいつまでたってもやらないから
いつまでたってもできるようにはなりません。

コツコツ、コツコツ、少しずつ積み重ねるからできるようになるのです。
「やればできる」なんて言われて安心しないでください。
やったからってすぐにできるなんて、決してなりません。
できる子は「今やっている」からできているんです。
「やるからできる」のです。

背筋を「まっすぐ」

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-07 (火) 10:21:09)

まっすぐきちんと一定時間座っていられるかどうか。
どうも学力の低い子はきちんと座っていられないように思います。
あっちへグニャグニャ、こっちへグニャグニャと動く。
頭は人間全体重に比して結構重い。
その頭を支えて背筋をしっかり伸ばして座っていること。
これが重要なのです。

今の子供たちは外で思いっきり遊ばないから、
背筋が弱くて背筋をすっと伸ばして座っていられないのかしら?
別に、座禅を組むように微動だにせず座っていろ、
というのではありません。
心持ちの問題、というのでもないのですが、
さあ、取りかかろう、これを片付けてしまおう、という攻めの姿勢。
低学年でも一定時間きちんとしっかり座っていられる子は
ある程度以上の学力をつけられると思います。
座禅も必要なのかもしれないなあ・・・・。

あと「素読」。
昔の子は(と言っても江戸時代)意味も分からず
「子、のたまわく…」なんてやっていましたね。
(見てきたわけじゃないですが)
あれはすごく大事なことなんですよ。
意味が分からなくても、背筋を伸ばして座り、
何回も繰り返しているうちに覚えてしまう。
そしてそのうち意味がわかって来る。
「読書百遍、意おのずから通ず。」です。

大人も時には背筋を伸ばしてきちんと座り、
物事に対応したいものです。

宿題の答え合わせまではしてくださらなくてもいいのですが

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-06 (月) 22:31:05)

一応パラパラとめくって、
全部やってあるか確認してくださるだけでもいいのです。
時々、一枚目の上のページだけと最後のページだけやってあって、
「やりました。」と出す子がいるのです。
わかっててやってるのか、うっかりなのか??
間が全部やってないのにうっかり抜かしちゃった、ですか?
「やったの?」と聞くだけでなく、「見せて。」と言ってください。
「やってない。」と言ったら目の前でやらせてください。
1時間はかからないはずです。
(1教科なら30分以下のはず)
1時間以上かかっていたらご相談ください。

計算カードは十分活用する

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-05 (日) 09:18:38)

1年生に入るとき、すべてのものに名前を書く、というので
閉口したことを覚えていますか?
計算カード、足し算と引き算、全部で何枚書いたでしょうか?
2センチ×5センチくらいの大きさに書くのですから
そんなに大きくは書けません。
今は名前シールもありますから、それほど大変ではないのでしょうか。

1年生のうちはみっちり使いましたか?
毎日先生も宿題にしてくださって、練習もしましたよね。
でも先生からの宿題が出なくなると、やらなくなります。
覚えたか覚えないかはっきり確認もしたかどうか。

そしてもっと重要なことは、
足し算引き算は10までの数で終わりではない、ということ。
10までの足し算引き算ができても、
11から20までの足し算引き算がうろ覚えの子が多いのです。

1年生で足し算引き算は完璧に覚えたから大丈夫と思ったら、大間違い。
11以上の足し算引き算はけっこう多いのです。
試しに引き算カードを作ってみたら、
10までの引き算は一ケタ引く一ケタは55枚。
20までから引く引き算で、
二ケタ引く二ケタで答えが1ケタになるものが36枚。
この36枚はいわゆる繰り下がる引き算で、
たとえば「15-7=」とかいうやつですね。
2年生でこの引き算の「理屈・やり方」を教えてくれます。

15引く7は(15-7=)
①まず10から7をひいて3、まだ5が残ってるからそれを足して8
②7を5と2に分けて、15のうちの5から5を引くと10残り、
 その10からまた2を引くと答えは8 
③15から、一つずつ戻っていって14・13・12・・・・と
 7回引いていくと答えは8
と、まあいろいろなやり方で、学校では教えてくれます。

しかしどうもこのあたりがうろ覚えの子が、
「引き算、嫌い。」
「わからないから、引き算いやだ。」
ということに結びつくようです。
そしてそういう子は、どうもやはり一けたの引き算も不確実。

「15-7=8」これらは理屈抜きに覚えてしまいましょう。
理屈・やり方は後で自分で考えればいい。
できない子ほど、この丸覚えのほうが楽なのです。

「しつけ」って難しい

  • 投稿者:ゆき子 (2016-06-03 (金) 11:34:16)

よかった!
置き去りにされた2年生の男の子が無事見つかった。
親御さんは「人や車に石を投げたので、しつけのつもりで置き去りにした。」
でも、2年生なら言えばわかるんじゃないかという気もする。

ただ、男の子って(男の子に限らない、子どもって)
何するかわからないことがある。
本市場教室でも昔、同様のことがあった。
お迎えを待って駐車場にいた男の子が、
通る車に小石を投げ、当たるか当たらないかだったんだけど、
運転手の方が教室に怒鳴り込んで見えた。
すぐに出て行って運転手の方に謝り、本人にも謝らせた。
ちょうどお父さんが迎えに見えて、
お父さんも一緒に謝ってくれたので、
何とか運転手の方はそのまま帰られた。
その後本人がお父さんにこっぴどく叱られたのは言うまでもない。

子どもってそういうことやるもんだと思っておいたほうがいい。

つらいときは足元を見る

  • 投稿者:ゆき子 (2016-05-30 (月) 21:14:58)

昨日は某ロードレースに出てきました。
一応コース全体フラットに近いのですが、
7kmあたりからだらだらと緩やかな登り坂が続きます。
急な登りなら一気に登ってしまえばいいのですが、
だらだらと続く坂はできるだけ頭をあげずに、
足元を見て、じっくりじっくり行くうちに、
いつの間にか登りの終わりに着きます。

勉強もそうです。
大変なつらい時こそ足元を見つめ、
顎をあげることなく、
じっくりと進んでいくことが大切です。
そうしていれば、
いつの間にか大変なことから抜け出していけるのです。
そういうことをお子さん自身が身をもって体験してほしいと思うのです。

「ちょっと子供が大変そうだから、枚数を減らしてください。」
「ほかの塾と掛け持ちで時間がないので、しばらく休みます。」
こう言ってしまうのは簡単。
でも何だか親が子供の苦労を先読みして、
それを排除してやろうとしてると感じてしまうのは、
厳しい言い方でしょうか?
それとも子供さんがイライラして当たり散らすのが
親自身が嫌だと考えてしまう、と思うのはうがちすぎかしら?

子どもの興味を引き出す

  • 投稿者:ゆき子 (2016-05-27 (金) 11:19:25)

学校の成績だけが子どもの評価基準ではありませんが、
良いなら良いにこしたことはありません。
それは子ども自身の自己肯定感につながるからです。

ある意味成績の良い子はいろいろなことに好奇心を持っています。
それを掘り下げていくことが、
結果として良い成績につながっていくのです。
もう、本当によく聞く言葉が
「計算はよくできるけど、文章題や応用問題や図形ができません。」
本当に耳にタコができるくらい聞きました。
それ聞くと、またですか~、と内心思ってしまいます。

だいたいそういうお子さんは計算もおっしゃるほどにはできません。
「良く」できる、の基準が違うんです。
まあそこそこ学校で困らない程度には、「良く」できる。
でもそれでは『文章題・応用問題・図形問題』はできません。

いろいろなことに興味を持って、
それを自分で調べてみたり、突き詰めてみたりできるお子さんのお母さんは、
「計算はできるんですけど…」は言いません。

文字に興味を持った時にすかざず、あいうえおを終えてやる。
そうするとすぐ覚える。
興味がない時に教えても覚えない。
「これなんて読むの?」そう聞いた時は大チャンス!

時計に興味を持ったらアナログ時計を一緒に読む。
「あと何分経ったら何時だよ。」
そういうだけで子供の興味が広がる。

車で実家に帰るときに、
「家からおばあちゃんちまで○○kmだわ。」
「kmってなに?」
そこから長さへの興味がわく。

辞書と百科事典と世界地図・日本地図はぜひ居間にあってほしいですね。
できれば動物図鑑とか昆虫図鑑とか、そんなものもあってほしいなあ。

今はパソコンで全部調べられるからいい?
いえいえ、本は大事ですよ。
そこにあるものを自分の手でめくっていく。
それが大事なんです。

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