公文式教室で学ぶ、家で学ぶ、自分で学ぶ きっとできる!だからがんばる。

diary201609

9月の日誌

読まずに答えが出せるわけがない

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-27 (火) 22:36:39)

国語の問題「次の文章を読んで、問題に答えましょう。」
「わかんな~い。」という子は、絶対と言っていいほど、
文章を読んでない。
「何回読んだ?」
「一回」
「じゃあ、もう一回読んで。」
「わかりませ~ん。」
読んでるところを観察してると、
どう見ても読んでいるとは言いかねる。
あれは眺めているだけ。
文字を見ているだけである。
文章を読んで、頭の中に映像を作っていない。
想像ができていない。
字面を追いかけているだけだ。
これでは「問題に答える」なんてできるわけがない。

そういう子に「本読むの好き?」と聞くと
大体が「好きじゃない。」と言う。
「どうして?」と聞くと「めんどくさいから。」と言う。

悩んだ時に本を読む。
つらいと気に本を読む。
そして光を見い出す。
自分の生きていく方向を定める。
いろいろなことに感動する。
体験していないことでも感動できる心を持つ。

これらはゲームなんかしているよりも、
ず~っと人生を豊かにする。

ところで、本を読む人は読まない人よりも
長生きできるそうですよ。

「子育てって辛抱ですね」

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-22 (木) 11:30:39)

お帰りになるときに、お母さんが奇しくもおっしゃった言葉。
「ほんとに子育てって辛抱ですねえ。」
たしかに。

まあそんなに深刻にならなくても、
子どもは自然に育っていきますけれど、
ある意味、親にとっては辛抱かもしれません。

わかるまで教える辛抱、きちんとできるまで教えて待つ辛抱、
危ないことはしないように見守る辛抱・・・・。

それでも、子どもはかわいいから、
その辛抱は必ず、むくわれる。
そしていつか大人になっていく。
自分がしてもらったことを次の世代にしていく。

大丈夫、みんな大人になれるから。
きちんとした大人にしたい、なってほしい。

明日は祭日ですが、本市場教室は行います

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-21 (水) 22:38:04)

学校もお休みですので、
お出かけになる場合はご連絡ください。
あらかじめ欠席とうかがっている場合は、連絡はいりません。
全員出席した時点で教室を終了しますので
なるべく早めにおいでください。
5時半までに連絡なくおいでになっていない場合は
こちらからお電話を差し上げます。

かわりに29日(木)をお休みとさせていただきます。 

本を読もう

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-19 (月) 09:02:56)

当たり前のことだけど、
現実というものは本の中より過酷な場合がある。
それでも、自殺した子供たちがたとえ空想の中でもいいから
逃げ込んでくれていたら
自殺という最終手段を取らなくても済んだかもしれないと思うことがある。

自分が実際に体験できることなんて
この世の中そう多くはない。
でも本の中なら、いろいろなことが仮想体験できる。
自分の気持ちだけでなく、
人の気持ちもおもんばかることができる。
想像力を働かせることができる。

親が本を読まないのに、
子どもが本を読むようになるわけがない。
だから、親も本を読もう。
子どもの読解力がない、なんて嘆く前に、
自分が本を読もうよ、お父さん、お母さん。
そういう親を見ていれば、子どもも自然に本を読む。

子どもさんを寝かしつける時、本を読んであげてくださいね、
読み聞かせにいい機会なんですよ、
と言ったら、
「おばあちゃんの役目です。」
「電気を消せば寝ます。」
あれ、あれ・・・・。

成長のスピードはみな違うはず

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-16 (金) 13:43:10)

日本は、幸か不幸か留年などの制度はない。
(就学猶予などの措置は少しはあるようだが)

考えてみれば、人間はみな人それぞれだから
成長のスピードなんて、
100人いれば100通りの成長の仕方があるのではないかと思う。

大人になってもまだ成長する人もいれば
早々に出来上がってしまう人もいる。
体格的肉体的成長はいつか止まるかもしれないが、
頭脳的精神的成長は幾つになっても成長することができるはずだ。

子どもに限って言えば、
例えば何歳になったからこれができなければいけない、
と決めつけるのはちょっとおかしいのではないかと思う。
確かに一斉授業などに必要な「一定時間座っていられる力」や
「人の話を聞ける力」などはある程度の目安は必要かもしれない。

だからと言ってそのことができない子どもを、
要注意児童のように考えたり
接したりするのは変じゃないかと思う。
だってその子も必ず変化していくし、成長していく。
まして子供は柔軟だ。
体も精神も頭脳も発展途上だ。
成長が遅いか早いか、ゆっくり成長する子なのか、
人よりも時間がかかる子なのか、見極めが大事だと思う。
早く成長する子は高いところに到達するかというと、
それがそうでもなかったりする。

子どもはいずれ大人になる。
到達するところはそんなに大きな違いはない。
大事なことはその子にいろいろな良い刺激をいかに与えてあげられるか、
良い環境を整えてあげられるか。
自己肯定感を持たせてあげられるか。

子どもに限らず、完全無欠な人間なんていない。
いっぱしに成長した(ように見える)大人だって
実のところは欠陥だらけだ。

大丈夫、みんないずれは大人になれるよ。
大事なことは早いか、遅いかではない、
いろんな意味で良い大人になれるかどうかだ。

先んずれば

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-13 (火) 09:12:58)

仕事は段取りが8割。
これは知り合いの知り合いで、レストランを経営してる人の言葉。

いつもなら個人用の教材を入れてあるところに、
次回セットする分をあらかじめ曜日を書き入れておくのだが、
何を寝ぼけていたのか、
月・火と書いて二日分しか入れておかなかった。
しかしよく考えてみたら、来週は月曜が休みだし、
何よりも本来なら水~土の分が必要だったのだ。
まして19日の月曜日が休みだから、今回は5日分。
慌てて教室が始まってから修正し始めたが、時すでに遅し。

「先んずれば人を制す。」という言葉がある。
段取り良く物事を先に進めておけば、ほかの人よりも先んずることができる。

ぼけっとしていたおかげで、余分な仕事を作ってしまった。

公文の学習だってそうだ。
「そんなに進まなくていいです、学校の勉強忘れちゃったら困るし。」
それはそれぞれの家庭の考え方ですから、それでもかまいません。
でも苦労するのはおかあさんではなく、子どもさん自身。
機会を与えてもらえなくて、でも、やらなきゃならないのは自分。
ちょっと進んでおけば、じゃなく、
かなり進んでおいても、学校の進み方はその上を行くんですよ。
おまけに全部わかっているものとして(全部できるものとして)
進んでしまうんです。

実際その子がその場になってから、初めてわかるものなんですね。
「公文でここまで進んでおいてよかったです~。」
あら?で、その先はどうするんですか?
だいじょうぶかなあ・・・・。

新しいところに弱い

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-12 (月) 21:29:32)

学年を超えると、すべてが新しいところだ。
「学校で習っていないからできない。」
(できなくてもいい、と思っているところが嫌なんだな)

もっとも忘れていると、「習っていない。」
と言っちゃうところが面白い。
この間は何かの拍子に、九九ができない子がいたので、
「習ってなかったの?」と聞いたら、
3年生のその子いわく、「5より大きい九九は習ってない。」
ええーっ!?んなはずはないだろう!
2年生の後半11月頃に九九は出てくるはず。

新しいところに弱いという話に戻ろう。
そこまで進んできたのだから、
新しいところだって、説明をしっかり聞いて、
実際にやってみて、試行錯誤しながら
たくさんの量をやってみれば、
必ずできるようになるはずなのだ。
それなのに、新しいところになると気持ちが拒否してしまう。

学校の先生はえらいなと思う。
要するにすべて新しいところのはずだから。
学校で教わるときはすんなり頭に入るんだろうか?
どうもそうばっかりとも言えないような気はするが。

勉強ができようが、できまいが

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-11 (日) 09:11:52)

勉強ができるできない以前に、
挨拶ができるできないのほうが気になるときがある。

教室に入ってきた時、だま~ってのっそりと入ってきて、
こちらが「こんにちは。」
と言ってるにもかかわらず、むす~っとしている。
返事があるまで、こちらは「こんにちは。」を繰り返す。
(内心ムカッとしながら)
別に愛想をよくしてほしいとは言わない。
入って来たときの挨拶、帰るときの挨拶は最低限じゃないか。
いくら頭がよくたって、勉強ができたって、
最低限の挨拶ができないようでは、人間としてどうかと思う。

本城孝則という人の
「日本人はなぜ英語ができないか。」という本を読んだ。
例えば「○クドナルド」などのファストフード店に限らず
今やどこそこの店舗でも
まあ、接客マニュアルがそうなっているのか、
「いらっしゃいませ、こんにちは。」と言われる。
私本人としては店内放送の「いらっしゃいませ。」は良いけれど
「こんにちは。」というのは不要だと思っている。
何故なら「こんにちは。」と言われたら
「こんにちは。」と返さなくちゃいけないなあ、と思っているから。
店内放送で「いらっしゃいませ、こんにちは。」と言われたら
誰に「こんにちは。」と返せば良いんだ?
支払いカウンターなどで言われるなら「こんにちは。」と返せる。

で、この本の話に戻る。
日本人は○ックなどで注文をする時に返事をしない。
外国では「Good Morning!」と言われたら
必ず「Good Morniig!」と返事をするのだという。
これは日本人のシャイな性格によるものも大いにあると私自身は思うけれど。

たまに親が一緒だときちんと挨拶するけれど、
一人で来たときはあいさつしない、という子がいる。
これってどうなの?
親の前ではいい子、というのが気になるなあ。

子どもは忘れるもの

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-09 (金) 16:15:04)

学校などで習ったことをすべて忘れなければ、
テストではいつも100点のはず。
なんで忘れるのか?と思う前に
「子ども(人間)は忘れる(ことができる)ものである。」
と認識しておけばそうカッカすることはない。
一時的に忘れることはよくあること。
ちょっとアドヴァイスしてやればいいのだ。
「あれ?忘れっちゃったんだァ。」
軽く受け止めてあげてください。
本人が一番ショック受けているのかもしれませんよ。

やっつけ仕事をしてほしくない

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-03 (土) 10:05:41)

学校の宿題は提出日に間に合えばOK。
だからやっつけ仕事で、学校へ行く前の日にやっても、出せれば大丈夫。
でもくもんの宿題は一応「宿題」とは言っても、
「家庭学習」なので、必ず毎日やってほしい。
そのために手書きで『曜日』を記入している。

本市場教室は「バインダー」を個々に渡して
先の教材がわかるようにしてある。
書いてある曜日を無視して、
好きなところだけやってきた子がいた。
何回も何回も、注意しても直らなかった。
自分のやりたいところだけをやるから、
途中で嫌になると残りはやらない。
結局大した力はつけてあげられなかった。

親御さんはいちいち介入したくないらしい。
「じぶんから進んでやってほしい。」 
そりゃ確かにそうだ。
でも、低学年のうちは、
親がおぜん立てしなきゃやらない子がほとんどだ。
「自分から進んで」やるような子なら、
自立力と学力はとっくについている。

子どもは永遠に子供ではない。
いつか必ず大人になる。
その時に困らないように。
やっつけ仕事で、
自分の仕事に向かう大人がいるだろうか?
計画を練り、段取りを整え、実際に事に当たり、
それを報告し、次の仕事のために反省をする。
大人の仕事はそれの繰り返し。

教室に来る前に宿題をやってはいけません。
それが言いたかったのよ。
教室に来る前にぱぱぱっとやってから来る子は、
途中が抜けたりしているからすぐわかる。

1教科から2教科にするのは至難の業

  • 投稿者:ゆき子 (2016-09-02 (金) 11:47:57)

最初から1教科で学習していると、
あと1教科増やすのは非常に難しい。
親御さんからすると
「1教科でさえやらせるのが大変なのに、
これがもう1教科増えたら私の負担は倍増!」

最初から2教科以上学習している子は
やるのが当たり前だから、例えば2教科が3教科になっても
そんなには負担にならない。

だから新入会の方には
最初から2教科やっておいたほうが楽ですよ~。
たとえば英語をやらせたいと思った時に
算数1教科だった子に英語もやろうって言った時、
心理的な負担が大きくなる。
(実際的な負担は大したことはない)
国・数2教科だったら国語を英語に替えることもできる。
(そうすると子供はめちゃめちゃ楽になってしまってラッキー)

ずっと以前に、算数1教科をやっていて
それがだんだん難しくなってきたら、
いろんな理屈をくっつけて国語に替え、
国語も高進度になって難しくなってきたら
またまた理屈をくっつけて英語に替え、
最後にそれも難しくなってきたら
(英語は比較的早く難しくなることが多い)
「公文はコストパフォーマンスが悪い。」と言って
おやめになった。

子どもに学力をつけるのに、
コストパフォーマンスを考えるのかと思ったが、
ほんとに真剣にコストパフォーマンスを考えるのなら、
学習枚数を増やし、一日20枚でも30枚でも、極限まで学習すれば
公文のコスパなんて地球上、史上最高なんですよ!

年長になってからでは遅いと思って

  • 投稿者:ゆき子 (2016-08-31 (水) 09:52:39)

本市場教室の近所に家を新築した方がひょっこり見えた。
姉妹の下のお嬢ちゃんが保育園年中さん。
「年長さんになってからでは遅いかなと思って。」
お母さんもフルタイムのお仕事をしているし、
ご家庭の協力は必至のこの教育法はかなり負担になるかもしれないが、
それでも「年長になってからでは遅い」
と思ってくれたのは大変意義のあることだ。

「小学校へ入ってからでも十分間に合う」と
思っていらっしゃる方がいるとすれば、
それは家で十分に働きかけをして、
ある程度のレディネスができている場合に限る。
子どもは刺激を与えれば必ず伸びる。
何も刺激していなければ興味も好奇心もわいてこない。
それが年齢が小さいほど、
スポンジのように吸収していく。

小学校3年4年になってあたふたしても、
その空白を取り戻していくのは
親子ともどもかなりな覚悟と労力を必要とする。

幼稚園年長からでは遅い場合もある

  • 投稿者:ゆき子 (2016-08-27 (土) 09:21:09)

大体年長から始めるお子さんが多いけれど、
そこからでは遅いと思うお子さんもいる。
レディネスができている子は良いが、
文字や数字に興味がない子。
ある一定時間座っていられない子。
こういう子は少しでも早く始めたほうが効果が高い。
学校へ行って初めて数字や文字に触れた子と、
それより前にある程度レディネスができている子とでは、
ものごとに対する興味が全然違う。
一年生の最初は教科書も簡単だし、先生は優しく丁寧だし、
何の心配もないように思える。
しかし夏休みのちょっと前から「テスト」という形式が出てくる。
そしてそこから教科書内容は一気に難しくなる。
で、夏休みの直前の懇談で、
「ちょっとこのあたりができませんので、お家で見てやってください。」
子どもは親が先生にになることは理解できないので、甘える。
親は子どもがわからないことが理解できないので
「なんでこんなのがわからないの!?」となる。

だから最低でも幼稚園年長さんから少しずつでもやっておきたい。
歌が100~200曲くらい歌える。
ひらがな(できればカタカナも)が読めて書ける。
本は毎日最低1冊は読む。(読み聞かせも可)
数字は1~200くらいまで言えて、50くらいまでは書ける。
指を立ててその数字が言える。
10円玉が何個でいくらとわかる。
10はいくつといくつという数の分解がわかる。(両手の指を使う)
時計が分単位まで読める。

これぐらいまでできるようになっておけば、
たぶん大丈夫です。

小4プロブレム

  • 投稿者:ゆき子 (2016-08-25 (木) 10:56:45)

4年生あたりから格段に算数・国語・理科・社会、
学科全般が難しくなってくる。
まず教科書の厚みがかなり増える。
ということは内容が多くなってくるということだ。
小3まではあまり学力に差がないが、
4年生以上から顕著になってくる。
日本は幸か不幸か義務教育に「留年」はないから、
次の学年に送ってしまえばそれでおしまい。
極端なことを言えば、不登校で出席日数が足りなくても、
中学は卒業できる。
小4の壁、小4プロブレムが発生する前に、
その壁を乗り越えられる力をつけておかなければいけない。

またも15歳の男の子が殺された。
それについてコメントした人が
「小4プロブレムからこういう事件につながっていく」
というようなことを発言していた。
勉強はできないよりはできたほうが良い。
小4プロブレムなんて感じない位の力を
公文式ではつけられるのです。

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